2010年5月15日土曜日

ちょっとかすんでますが


今日は、初夏のようないい天気だったので久しぶりにNJ側からのマンハッタンでも写真に撮ろうかと行ったのですが、その後に、雷雨、Hail、そして土砂降りの雨そして80号線の大渋滞と散々な目に会いました。そんなに悪いことをやっていないはずなんだけれども。
どうもその天候のせいなんでしょうか、今日のマンハッタンはちょっとかすんでいます。というかやはり私のデジカメのこれが限界といったところでしょうか。
雨は、夜10時くらいまでと天気予報は言っていますがさて、週末の天気はどうなるんでしょう。
どこに行こうかな?

2010年5月14日金曜日

さて、同じようなことが日本は出来るでしょうか?

今日のポルトガルの政府の決定には、驚いた。
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_60335
ポルトガル、付加価値税引き上げと給与削減を閣議で承認

税を上げると同時に政府関係者の給与は5%の削減なのである。財政健全化の為にということなのだが、果たして同じようなことが日本政府は出来るだろうか?NJに住んでいるが、こちらでもSalesTaxは、高い。TXとかNJを見ていると7-8%くらいなのである。ただし、食料品には同じように高い消費税はかからない。今や、5%などという消費税の国はあまりないのではないか?ちょっと調べたが、やはりと言う感じ。イギリス、フランス、イタリア、ドイツなどは17-20%である。食料品は、5-10%、でイギリスの場合は0%なんだそうだ。もう、5%の消費税を導入して何年も経っているのでそろそろ10%とかにしてもいい気がする。しかし、食料品などについては5%の据え置きというのがいいだろうが。財政の健全化を本当に考えているのならこのポルトガルがやったようにちゃんとするべきだろう。また、政府関係者は景気の変動や民間会社が給与を2-3年凍結していた時でさえ給与を上げていたくらいなので5%くらいの削減をしても当然だろう。さらに、天下りなどをしっかり取り締まると財政の悪化に歯止めがかかっていいのではないだろうか?

関連した議論がニュースに出ている。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/100513/fnc1005132039020-n1.htm
消費税増税でどうなる モデル世帯で16.5万円の負担増
という記事である。これは、10%へアップのケースを試算している。しかし、一律に上げるようなことをするとやはりだめだろう。欧米のように食料品などは、消費税を抑えるべきだ。ドイツに1ヵ月半生活していて思ったがやはりドイツでも国民の2極化がすすんでいるようだ。しかし、生活の基本となる食料品はかなり安く贅沢さえしなければなんとかやっていけるという感じだろう。ちょっと固めだけども食べると味わいのあるパン、これを3-4個買っても2ドル程度であり高級ワインでなく安いワインなら1-2ドルから手に入る。やはり、ワインは水のような感覚なので庶民の手が届くようなものを食料品店も用意している。あのパン、そしてチーズはうまかったなあ。

2010年5月13日木曜日

疲れるなー

追加で、また別のプロジェクトにも参加が決定。また、増えた。かと思うと、今度は、違うグループのリーダーからお昼のお誘い。何かと思えば、ちょっとこのXXの産業分野の市場と技術動向を教えてくれと言う。ああ、知ってますよといったのが失敗。しょうがない。
まあ、お昼ご飯をただでおごってもらう代わりにちょっと短時間の講義。これこれしかじかのことが起きていて技術が変化してます。利益などのプールがこう変わっています。よく知っているなー、そりゃそうですよ。なんせ20数年間召し食って着てますからね。ちゃんと勉強もするものですよ。
世の中には、他人がやったことを利用するだけでやったかのように見せかけるやつと、一生懸命自分で努力して作り上げていくやつがいる。後者になるように人生を生きろというメッセージが、どこかにあったな。こいつも、前者に相当でただ単に要領がいいだけのやつか?
最近、後者に相当するすごい人を発見。あのような人をお手本にしないとだめだなと妙に納得。良かった、良かった、まともなやつもちゃんといる。まあ、当たり前か?会社だからな。

最近、銀行の残高をちゃんと確認してなかったらなんと前の会社からちゃんと業績給の支給があった。まあ、少ないけどもらえるものは拒まず。(本当はもっと欲しいけど)ラッキー。

2010年5月12日水曜日

やっぱり大丈夫 日本(2)

http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100225a06j.pdf
大丈夫かな?と心配するだけではだめなので、数字も検証したい。経済産業省が平成22年つまり今年2月に”日本の産業を巡る現状と課題”という資料を発表した。これを見ても、日本の没落は明らかだろう。1人あたりのGDPランキングは、2000年の3位から2008年には23位に下がった。(私が、日本に居なかったから下がったのではないだろうが)世界GDPに占めるシェアは、1990年の14.3%から2008年にはなんと8.9%へとダウン。IMD国際競争力順位は、1990年の1位からいまや2008年では22位なのである。今の親は、所得も5-10年前に比べ減っているにもかかわらず子供達を塾に通わせないといけないわけで大変苦労しているだろう、ところがそれだけ苦労してもなんと日本の世界の中でのポジションはどんどんと下がっているのだ。まあ、時々いろいろなコラムとか批評欄でよく見るのだが、いまや殆どの学生がどこかの大学に行くと言う時代。でも、そのレベルたるや、分数ができないとか高校のレベルの理科もわかっていないとかヒドイようである。まあ、それでは、世界の中で戦っていくのは無理だろう。
確か、日本は世界の中でも貯蓄を一杯していてお金持ちだからとか言われているがあれも、うそというのがこの資料でわかる。どんどん下がってきた家計貯蓄率は今や米国よりも下なのである。確か、何かの記事にでていたが3-4人に1人の人は今や貯金をもっていない。それもそうだろう。確か、3人に1人は、非正規の職についているのだから収入面での安定がないだろうし。
この資料を見ていくと面白いデータが一杯である。

やはり、頑張っているけども利益率もとても低い。日本の電気会社の全ての利益を合計してもサムソンにかなわないというのは有名な話である。日本人は、高給与だからということではない。なぜなら、この10年で平均給与は10%以上下がっていてそのデータもこの資料に入っている。いやあ、これからどうなるんだろう、日本は?やっぱり、大丈夫かな 日本。今日もこれを考えておしまい。さて、風呂でも、違った、シャワーでも浴びて寝るとするか。

やっぱり大丈夫? 日本

国民新党が、政策方針を決めたとか。それによると、今後5年間で100兆円に上る財政出動を行い経済を活性化させ税収を増やすんだとか。こういうばかげた政策を掲げる党があるので、日本は良くならないのかなとも思う。今、どれだけ日本としての借金があるのか。この人たちは判っていないのだろう。まずは、小さな政府になるようにすべきだし、役人の天下りを止めさせ、スリムな組織とすべきだろう。それだけでかなりの税が浮いてくるのではないか?各省庁には、節約をさせると同時に政府の関係者は、国債の縮小とリンクしたボーナス支給にするのである。そんなことは民間企業ではよくやっていることだ。無理にでもそうやって減らしていかないと減るわけがない。前にも書いたが、今の財政のバランスはもう狂っているとしか言えない。そして思ったのだが、いくらお金でばら撒いて就職を支援しますとかやっても仕事は、あるいは職は増えない。そんなことするくらいだったら、企業の利益にかかる税金%を下げて経済の活性化を図った方がはるかに増しと思う。
日本では、ちゃんと国家の戦略が描けてさらに国民を引っ張るようなリーダーは当分出てきそうにないな。
大前研一が、絶好調の韓国と不況が延々と続く日本のリーダーを比較して嘆いていたが、まあその状況は続くんだろう。そういえば、偶然かも知れないが日経ビジネスも韓国の4企業の成功の原動力が何なのかと分析していたようだ。韓国は、やはり海外で売り儲けてこないといけないから世界を相手にどうしたら売れるかそれを必死で考えている。英語もろくに出来ない日本は、まあ国内だけでいいかとなるから大した利益もでなくて不況が続くということか?もし、国際展開が鍵になるならいっそ英語を第二外国語として、徹底的に学生に学ばせたらどうだろう。すぐに効果はないだろうが5年経てば なんらかの成果があるかも??こんなことは、泥縄式ではなく10年以上前から 将来の展望を描いていないとだめなんだがな?いや、大変悲惨な国になってきた。
http://president.jp.reuters.com/article/2010/04/19/D0F4D84C-4913-11DF-8A95-B51A3F99CD51.php
”リーダーが分けた「骨なしの日本、昇竜の韓国」” 
日本は、経済が活性化して また世界の中で輝くような日がやってくるだろうか??

2010年5月10日月曜日

PAのナイアガラ滝

Niagara of Pennsylvania そうPAのナイアガラの滝と言われるBushkill Fallsへ行ってみた。ここは、今のアパートからも結構近い。入場するのにUS$10とはちょと高いが、しょうがない。びっくりしたのは、天候もいいせいか大勢の人が来ていて入場券を買うのに並んだということ。この滝の落差は、100ftということなんで30mぐらいなんだろうか?これで、ナイアガラとはいえないだろう。


山沿いにこの滝まで繋がっている川をハイキングすることができる。川沿いには、木で道を組んでいるのでこれを歩ける。これが、結構キツイコースでアップダウンもかなりある1-2時間のいいウォーキングが出来た。

2010年5月9日日曜日

経済不況になっても

これだけ経済不況になっても、まだこんな人がいるんだな?と今日のCNBCの”Till debt do us part"を見て思った。収入と支出これをバランスさせるのは当然ファイナンスのコントロールでの初歩。ところが今日のカップル30歳代半ばの人たちの生活は、すごい。毎月1300-1500ドルもの赤字。ファイナンスのアドバイザーにこんな生活を続けていたら5年で30万ドルを超える借金となってしまうと言われて彼らはびっくり。当然、給与は毎月入ってきてはいるだろうけど毎月そんなにCC(クレジットカード)などを使っていたらカード会社の思うつぼ、なんといっても利子部分は7%-15%くらいとかなり高いから利子部分を支払うだけでも相当大変。車などを買うのに、ローンが安くなっているからとローンを使う人も多いが、家以外でとに角ローンを組んだりするのはとんでもないというのがSuzeなどがよく言っていることだ。更にびっくりなのは、このカップルは、まだ子供がいないが12万ドルで買った家なのに家のローンMortgageが16万ドルと増えているということだ。ちゃんと元利部分への返済が出来ていない(利子の一部分だけを返済しているからだろう)訳でこれもびっくり。貯金は、当然ないしまだ子供がいないから子供の教育費用などの貯金もやっていないのだが、さらに会社を解雇となった場合の所謂EmergencyFundなども積み立てていない。米国では解雇はよくあるので5-6か月分の給与をとに角手付かずでもっておくというのが常識なのであるが、こういったことも出来ていない。まだ、まだこういったのんきなカップルがいてどんどん借金を重ねている、これが典型的なアメリカ人なのかも。
最近、同僚で離婚した人が今家を処分しようとしているのだが、彼らには2-3歳の子供がいる。彼は、どんなことでも子供のためにはやってやるといっていたが、じゃあ毎月どれだけ積み立てをやってるのかと聞くとやってない??とのこと!これなんかもびっくりであった。あと15年でその子供が、大学に行くのだが当然インフレーションも考慮して相当の金額を積み立てておかなければならないわけでそういったことが全く判っていないのだ。この彼も30代半ばである。急に来年から、子供が大学に行くからといっても2-3万ドルといったお金を用意できるものではない。ましてやそれが4年続くのだから大変だ。もちろんここ米国では、奨学金を一杯もらっていけばなんとかなるといった考えもあるのだが、それでうまくいける子供は限られているだろう。久しぶりにCNBCを見ていたのだが、相変わらず借金を一杯しているアメリカ人を見てびっくりした週末の夜であった。

やはり春から夏になると

やはり春も終わり初夏といった天候になってくるといろいろな動物たちが動き出すようだ。先日の事件は、近くのスーパーに行った帰り車を運転しているとなんと林の中から出てきた野性の鹿がもう少しで道路へ!!幸いにして轢く事はなかったが、もちろん写真などをとる時間もなかったが本当にびっくりであった。
さて、かわいい訪問者(訪問動物)が我がアパートにやってきた。野生のウサギである。これは、判りやすい。(実は、今まだ調査中の正体不明動物もいる。写真をうまく取れないのだけれども)

そして、さらに色とりどりの鳥たちである。なんという鳥なのか、もっと調べなければならない。この青い鳥、綺麗なんだけれども全体が写せないのと私のデジカメではこれが精一杯の倍率。いよいよ、もっとズームが出来るカメラが欲しくなってきた。

エジソンを訪ねて Menlo Park (3)


















これらは、よく知られているエジソンの研究。電球の発明である。かなり多くの人が研究をしたのだが、実用になる程度の時間転倒し続けたのがエジソンの電球と言われている。フィラメントとして最適なものを研究者が探していてたまたま竹を炭化させることで得られたフィラメントがそれまでの点灯時間を遥かに延長できるものであったということらしい。(1000時間以上)世界中の竹を集めて調べた結果、どうやら京都の竹がベストであったという。不思議なものだ。

さて、このMenloの通りにエジソンが作ったものとして電気機関車の説明がなされている。もうその線路や跡形も残っていないのだがどうやらここMenloに最初の線路が引かれたらしい。1880年には、電気機関車の実用ラインがスタートしていたはずなのでここに展示の新聞は1-2年後のものとなる。白熱電球、電気機関車さらに電気のネットワークというか配電所などのサポートもしていたエジソンにとってはかなり忙しい日々だったのだろう。そして、3-4年後には最初の奥さんであるメアリーがわずか29歳の若さでなくなりエジソンが発明、さらに働く意欲をなくした数年間が訪れたということらしい。その後に、前に訪れたWest Orange研究所へと移ることとなるようだ。



NJ Transitでは、この町エジソンにも駅を作っているのでそこにも行きたかったが今回は行かなかった。また次の機会を見てtryしよう。ちょっと期待はずれのMenlo Parkであったが、天気も良かったのでいったんはアパートに戻り、自宅からは結構近くにあるPA州のナイアガラの滝と言われる?Bushkill Fallsへ行って見ることにした。実に気ままな観光旅行である。

2010年5月8日土曜日

エジソンを訪ねてMenlo Park (2)

エジソンは、蓄音機を作ったのでいかにして音をよくするかスピーカーなどの研究も盛んにやっていたようである。これらの展示物を見ることが出来た。彼は、聴力に問題があったと言われていてそのためにかなり読書をしたとも言われる。彼は、10,000冊以上の本を書庫にもっていたし図書館にも良く通ったようだ。こういった知識と数々の実験が、1000以上の特許に結びついたのだろうか?

実に、様々な形のスピーカーである。エジソンは、蓄音機が好きで50年以上に亘り改良を続けたと言われる。エジソンよりも早く蓄音機を発見した人がフランスにもいたということなのだが、その人の蓄音機は音を紙の上に記録するだけであり再生機能がないことから蓄音機とは言えないらしい。

日本ビクターだったか、犬が蓄音機に聞き入っている風景を会社のロゴというかトレードマークのようにしていたのを思い出す。あの犬は、ニッパー君というらしい。今や、SONYのWalk Manを経て iPodなどの時代となったが全てはこういったエジソンの発明からスタートしていることを今更ながら感じた。こんなことに感心しているのはやっぱ理系の性格のなせるわざか?かなりマイナーな観光地であるにも関わらず、5-6人もの人が来ていたのにも驚いた。ここで世界でも初の電球とかの研究や発見がなられたのだが残念ながら研究棟などもほとんど残っていない。建屋のなかにあったという様々な開発した製品などもFordが、持ち帰りミシガンのどこかに記念館を作ったとか。面白いのは、Henry FordはエジソンのEdison Illuminating Companyに就職して働き始めたということだろう。終生にわたりいい友人であったとか。フォードは、自動車の研究をエジソンにサポートしてもらいその開発が始まったのである。その後、彼はエジソンの会社を去り自動車の開発に没頭するが初期のモデルはことごとく失敗となったようである。いずれにせよ、フォードとエジソンに接点があったとは、全く知らなかったことであり面白い発見であった。

再び、エジソンを訪ねて Menlo Park (1)

エジソンのWest Orange記念館を訪れて、彼には別の研究所がさらにあったことを知った。それが、Menlo Parkである。彼が、30歳のころにこのMenlo Parkで世界でおそらく最初とも言われる所謂研究所を作ったのである。それが、1876年のことである。(世界で最初とかいった言葉は、アメリカ人が好んで使う言葉かもしれない。実際には、世界で最初のといったことはないだろう。しかし、Menlo Parkの案内などでは、First Organized Research Laboratory in the history of the worldなどと表現されている。)

約1時間半のドライブで来たのはいいが、なんと駐車場らしきものもないし、なんと掘っ立て小屋のような建物と雑草が生えている中に立っている記念塔だけ。若干、予想はしていたのでびっくりではなかったが、やはりという感じ。実は、このMenlo Parkを調べたときに、寄付金を募ってエジソンの記念館などの建設と共に記念塔の修復工事をといった案内になっていたからだ。(下記のインターネットのHPを参照)
http://www.menloparkmuseum.org/
Museumとはなっているけどもそんなものはなかった。既に数年前からの活動らしいのでもう出来上がっているのかと思ったがどうやらそうではないらしい。つまり、まだまだ寄付金が足りないようだ。エジソンの記念塔の修理だけでもUS$1.8Bというから、建設会社は”うはうは”ではないだろうか?そんなに費用がかかるような印象を持たなかったから。さて、ここでエジソンはまずあの蓄音機を発明し、その後に電球の発明と続く。さらに、すごいのはここでは世界で初の電気機関車の路線も作られていたのである。掘っ立て小屋ではあるが、興味深い展示品もありどうせ暇にしている単身赴任おやじとしては有意義な半日を過ごせた。(なんといってもドライブだけで往復3時間ですので)

NY Ground Zero (6)証券取引所など

NYSE(NY Stock Exchange)株取引をやっている人なら知っているアメリカ最大の証券取引所。ギリシャの神殿のような外観なのでちょっと証券取引所とすぐには判らない。

外は、警察もおりやはり警戒は厳重。これも、Sept11以来かも。















初代大統領ジョージワシントンが、就任の宣誓をしたFederal Hall National Memorial。もちろん銅像は彼GWなので、その横で写真を撮る人がかなり多い。色々な写真を撮っていても中々整理する時間がなく困ったものだ。まあ、でもまた雨の週末があるのでその時にやれるだろう。

2010年5月4日火曜日

やはり渡米するしかないのが今の日本

日本の医療システムは、優れているとよく言われるが難病の手術や臓器移植ではやはり米国の方が優れている。この為、寄付金によりお金を集められた人だけが渡米し、手術を受けれるのが今の日本の現状である。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20100502-OYT8T00816.htm
""沙也さん心臓移植あす渡米"" 
"重い心臓病「拡張型心筋症」を患い、米国での移植手術が決まっている仙台市青葉区の寺町沙也さん(15)の両親が2日、入院先の東北大病院で記者会見した。父の貴史さん(43)は、「今は不安よりも期待の方が大きい。必ず元気になると信じている」と語り、母親の直美さん(41)は、「多くの人に支えられてやっとここまで来られた」と募金活動などに感謝していた。沙也さんは4日、心臓移植を受けるため空路、出発する。"


この”拡張型心筋症”は、医龍などのテレビドラマでも説明されていたものなのでたぶんバチスタ手術などにより心臓の大きさを小さくする手術をするのかもと素人判断で考えた。でも、須磨Drをはじめ何人かの著名な方もおられ15歳未満でも手術は可能なのに渡米するということから、この術式では治療不可能というようだ。臓器提供者を待つという記事から判断すると、やはり年少者の臓器移植は不可という日本の医療制度の問題により渡米となったようである。臓器を買いに海外へ行く日本の現状が時々問題視されているように、今の現状はやはりおかしい。人口が、減少していく中では臓器提供者はますます少なくなるのではないだろうか?そうするとこういった難病にかかった場合には、やはり海外へといくしかないのだろう。1-2億円もかかる渡航そして手術費用には驚くばかりであるが、こういった患者を引き受けることができる米国という国にも驚く。不況は、徐々に脱しつつあるが依然として何百万人もの人が職につけないなか一方では、こういった高額医療を受けることが出来る人もいる。色々と考えさせられる問題であった。
補助人工心臓をつけるなどしてこれまでにも大変だった15歳の少女なのでよくなって欲しいと願う。

たぶん救いなのは、”1lの涙”のような不治の病というか現代医学では治療方法がないのとは違い、よくなる可能性があるということだ。移植をすれば直る、だから大変でも寄付を募り渡米する、これに賭けるということなのだろう。手術が、成功するといいが。

(追記)4日に米コロンビア大学に入院したばかりのこの15歳の少女は、かなりラッキーのようだ。というのも7日すぐに適合する臓器が見つかり 手術となり 手術が成功したとか。でも、入院してわずか2-3日ですぐに手術というのは事前検査の時間などを考えると超はハイスピードと言える。いずれにせよ、吉報である。明るい将来を祈る。

2010年5月3日月曜日

Lower Manhattan にある芸術作品

博物館や美術館を評論できるような知識も博識もないが、色々な機会に恵まれ世界の美術館を訪れる機会も多々あった。今回のLower Manhattanでは、どうやらいくつかの観光ポイントに上げられているものがある。それらが、以下のようなものである。

イサムノグチによるRedCube。この日系アメリカ人の作品は、このLower Manhattanにもうひとつあり、それが水上庭園である。日系であったために強制収容されるなど苦労の人生を送ったようである。広島の原爆記念公園の作品として選ばれかかったが、今度は逆に原爆を落としたアメリカ人の血が混ざっているということで選出から洩れたということで日系アメリカ人であるが為にかなり苦労した人だという。



4つの木のむれ(Group of Four Trees)。これはフランス人による作品でガイドブックを見るまではこれが木だとは思わなかった。まるできのこのような作品といえる。


これが、イサムノグチの水上庭園でどうやら現在は修理中のようでネットが張られていた。銀行の前にある作品なのだが、いかにも日本的で作者がやはり日本人とすぐ判る。ちょっと典型的なアメリカ人には理解がしがたい作品なのではと思ってしまうのは私だけだろうか?




このブロンズブルは、もう横からの写真を一度、アップロードしているのだが正面の写真はまだだった。ここで写真を撮るのはかなり至難の業。道路の真ん中にあるこのブルの周辺にはいつも観光客が多く、また変わりばんこに写真を撮っているので人がいないように撮ることは、殆ど不可能。ブルの上に上がる不届き者も多い。証券所にゲリラ的に送られたクリスマスプレゼントだと言うことだが本当かな?触ると金運が上がるとかいった言い伝えもうわさだけの可能性はあるが、触ろうとする人はかなり多い。私もその一人のミーハーである。

NY Ground Zero (5) ハドソンリバー側の風景

 
















これが、ファイナンシャルセンターをハドソンリバー側から見たものである。このハドソンリバー側の風景を見ているとGround Zeroの存在さえも忘れてしまう。晴天でジョギングしている人やコンサートの準備をしている人を見ていると本当に何事もなかったように思えてくる。こちらからは、前に訪れた自由の女神が遠くに見える。





















やはり、これが持っているデジタルカメラの限界。もっと拡大したいが無理なのである。更に、望遠がつけられたらいいのだが。のどかな、よく晴れた1日だった。

2010年5月2日日曜日

NY Ground Zero (4)ファイナンシャルセンター側より




















これまでの写真は、Church StとLiberty StからGround ZeroというかWTC跡地を撮影したものだった。ぐるりと回って、今度はWorld Financial Center側から見た現在の工事風景もここにUploadしておく。ガイドをしておられる消防士の息子さんをなくした方に付いてぐるりと回るツアーである。今回の、ツアーの人数は20人くらいである。もちろん日本人は、私だけ。このファイナンシャルセンター側からは、工事用の塀の中まで良く見えるので今の工事をよく見渡すことができる。どれだけ広い面積に亘り、建物が崩壊したのか驚くばかりである。Twin Towerをデザインしたのは、日系2世である山崎實氏である。チューブ構造により建設されたこのビルは、オフィス内部の柱をかなりなくしたことで画期的なデザインだったという。航空機が、衝突しても大丈夫の設計だったというが、ただその想定よりも大きな航空機がぶつかってきたこと、そしてその残存燃料による爆発の衝撃までは考慮されてはいなかったそうである。ただ、すぐに倒壊することなくある程度の時間持ちこたえたことでかなりの人が避難できたことは幸いであった。新しく建てられる新WTCでも、第4タワーを日本人の槙文彦氏が設計するそうで日本人が活躍している。

 さて、これはファイナンシャルセンターの中に聳え立っているやしの木である。ガラス張りのっここでは、航空機のタワーへの衝突によりかなりのガラスが割れたそうであるが、やしの木は立ったままであったそうである。なんとも不思議なことだ。ここを出てハドソンリバー側に出るとのどかで美しい光景がまた広がっておりテロによる攻撃を受けた都市ということを忘れてしまう。

Times Square

実は、ゴールデンウィークには日本人や中国人が観光に訪れるため混雑すると思い、先週Ground Zeroと共にちょっとTimes Squareも寄ってみた。やはり先週は、正解だった。今日のこの驚きのニュース。
 ‘Very Lucky,’ Mayor Says, After Bomb  (The New York Times より)
A crude car bomb of propane, gasoline and fireworks was discovered in a smoking Nissan Pathfinder in the heart of Times Square on Saturday evening, prompting the evacuation of thousands of tourists and theatergoers on a warm and busy night. Although the device had apparently started to detonate, there was no explosion, and early on Sunday the authorities were still seeking a suspect and motive.
“We are very lucky,” Mayor Michael R. Bloomberg said at a 2:15 a.m. press conference. “We avoided what could have been a very deadly event.”
なんと、爆発物を仕掛けた車がTimes Squareにあったということ。幸いにして不発であったが、もし先週でなく昨日の土曜に夕方訪れ、もしさらにこの爆弾が爆発していたらと思うと恐ろしい限りである。まだ、アメリカは、テロリストに対して戦争をしている国であると言うことを再認識した。平和ボケしている日本人観光客には、Ground Zeroも、Times Squareもただの観光場所なんだろうが、常にこういった危険があるということは判らないだろう。ちょっとした偶然で、命が救われた、そんな感じがした。本当にVery Luckyである。

2010年4月30日金曜日

NY Ground Zero (3)

Tribute WTC Visitor Centerそのすぐ隣に消防署があるのですが、この建物の外にSept11を絶対に忘れないと書かれた銅版画のような展示物があります。





煙が出ているTwinTowerです。そして、必死に消火にあたる消防士です。あの日は、朝、誰かに呼ばれてカフェテリアにTVを見に行ったのを覚えています。なんだか映画の撮影のようだな、なんで飛行機がビルにぶつかって行ってるんだといった感じを持ちました。同僚も、びっくりしていましたし、現実のものとは思えないというのが本当の状態でした。日本人の方も、何人か亡くなられたようでした。あの事件の場所に、自分がやっと来たという事です。99年に米国赴任となってからNYに来るというようなことは、全くなかったので不思議です。それは、顧客も居なかったし、我が家は他の観光地を中心に見ていたからということでした。あれから世界は、やはり変わったといえるでしょう。厳戒なセキュリティチェックが米国のどの空港でも行われています。(日本ではそうでもないようです・あの地下鉄サリン事件をもう忘れているのでしょうか?)最近でもまた事件があったようでさらに検査が強化されるようです。
煙が、濛々と上がり逃げまどう人々。やはりあの場面は、忘れないでしょう。あの事件のあった時、私はここ米国に居ましたので。これまでの常識を遥かに超えた同時多発テロ、あのような緻密な計算がされたテロは、なかった。だから、3000人近くもの人が命を失ったのである。本当に残忍な事件であった。

2010年4月28日水曜日

NY Ground ZERO  話が脱線ですが

続きというか、これは、ちょっと変わった写真を纏めておくことにした。まず、2時間半もの間待たされていたので暇でしょうがない。ので、隣の線路を走っていたNJ Transitを撮影することにした。しかし、これがなかなかうまく取れない。なんせ何時来るのか、いまどこらあたりまで来ているのか見えないので。(もちろん窓から顔を出したり出来ないですからね)そして、やっと撮ったのがこの写真。これは、普通のタイプです。私がいつも乗るのは、2階建てとなってまして、いつも2階の一人用の座席を使っています。10両以上の編成ですが、これが結構、満席にちかくなるんですね。
 さて、これは前にも書いたかどうかもう忘れたんですが、NJ Transitで切符を買い乗り込むとすぐに車掌がやってきて検閲をします。これが、不思議なんです。買った切符をいきなり取り上げてよくラーメン屋さんなんかであるあの注文票のような紙に交換。これを座席の前或いは後ろにある金具で引っ掛けるようなところに置きます。人によっては、この紙をすこし破いておいたり色々なパターンがあります。私のようにNYまでいく人は、番号の部分には何もしませんが、途中で降りる人は対応する番号の場所に穴を開けるようです。ちょっと思ったのは、もしトイレに行きたくなったら、この紙を持って行ってもいいのかな?ということです。なぜなら、これがないと無賃乗車じゃないかと言われるわけですので。

さて、いつか撮ろうと思っていたのが、これ。いつもTVで見かけてますが、目の前にあるとやはり写真を撮りたくなりました。

















これは、NY Penn駅でよく見かける列車の時刻表です。NYからの行き先表示や列車の番号、そして遅れがないかどうかが表示されています。最初、駅で見ていて面白かったのはかなり多くの人がこの画面とにらめっこをしているのが判ります。最後のTrackという欄が空欄ですね。実は、どの列車が何番線から発車となるかが全く決まっていないのです。だいたい、10分くらい前になるとTrack番号が出ますのでそうすると大勢の人の移動が始まります。プラットホームへ進むにもドアを開けて階段を下りてゆかなければいけません。このTrackの表示がでるまで、その扉も閉まっており下りられないようになっているのも安全確保のためなんでしょう。各国でいろいろな違いがあり、列車一つとっても面白いです。

NY Ground ZERO

ドイツに行く直前には、自由の女神しか見れなかったので、またNYに。土曜日は、快晴。ゆっくりと電車に乗り待っていたのだが、なんとPenn駅のひとつ前の駅付近でなんと電源が落ちて電車が止まった。電気がない???明かりが消え、クーラーも停止。まあ、20-30分もすれば復旧するだろうと思ったがそれが大間違い。なんと2時間半、その場から全く動かずであった。電気復旧後、その最後の駅でさらに電車を乗り換えてやっとPenn駅に。まあ、予定は狂ったけどなんせ私はひまな一人旅。予定通りに、地下鉄に乗りWTCに向かう。電車が、工事の関係もありかなり複雑。止まらない駅があったりしてちょっと私も頭が混乱。どうやら他の人も同様の様だ。
  あのSept11で、瓦礫の山となったWTCでの跡地では、工事が盛んに行われていた。遠くに見えるのがWTC第7ビル、通称ガラスビル(226m)と言うんだそうだ。これは、もう完成。最も高いWTC第1ビルは、この7ビルの2倍以上の高さとなるからどれくらい大きいか想像してごらんと言われたが、想像も付かない。541m、これをftで表示すると何故この高さなのかが判る。2013年に完成予定の、最初FreedomTowerと呼ばれていたこの第1ビルは1776ftである。やはり、自由・独立を重んじるアメリカなのでちょっとこだわっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/One_World_Trade_Center
この第1ビルが、完成したら上記のようになるらしい。(もうちゃんと完成後の姿がWikipediaにも載せられているのがすごい)これは、別の角度からの建設風景。

   
















さて、TributeWTC VisitorCenterへ。入り口がかなりごった返していた。ここで、次のTourGuideによる案内の時間を聞くと超ラッキー。まだ込んでなかったので40分後のグループに参加出来ることとなった。日本語じゃないけど大丈夫かと言われ、もちろん大丈夫と答える。

案内してくれたのは、消防士になったばかりの長男をなくした御夫婦である。もちろんボランティアである。その長男は、まだ22歳だったそうだ。ただ良かったのは、彼の遺品がいくつか出てきたということらしい。今でも900人を超える人の遺品は全く出てこないとの事。その一方で、ビル崩壊後に急遽復旧を急いだ道路を最近整備していてまた20くらいの遺品が出てきたとか。なんとも悲しい話である。

これは、TributeWTCの中に展示していたあのTwinTowerの模型とそこに映し出された映像である。ちょっとそれ以外をパチパチと写真に取るのは不謹慎と考え慎んだ。死亡した多くの人の写真が展示されていた。また、地下へと階段を下りる際には日本からの送り物として千羽鶴がぶら下げられていた。

いよいよ転換点の日本


やはり、依然として自動車産業は日本の中でも要となる産業なのだが、どうやら転換点に来ていると思う。2009年の国内自動車生産は、10.3%減の856万台。国内、海外を含めた清算合計は0.2%減の1970万台。つまり、海外生産はもう金融ショックから立ち直りかけているといえる。でも、これでは、日本国内の雇用の安定には全くならない。これまでのように輸出してどんどん稼ぐといった形ではもうない。国内の労働者を10%以上減らしながら、一方で消費地であるアジア、中国などでさらに現地社員を増やし、工場を建設し儲けていかなければならないのである。不景気の続く日本でこの統計データの意味がちゃんと判っている人は、少ないようである。一部の新聞では、この意味をよく考えないといけないと言った報道もなされているが、大部分は”良かった、良かった”といった感じでありまったくおめでたい人たちばかりである。これからは、さらに国内の工場の老朽化が進むのでこれを閉鎖して海外、中国で作りこれを日本へ輸出していく或いは、タイで作りこれを日本へといった展開になるのではないだろうか?元同僚の一人が、家族も連れてタイへと転勤というか現地社員となってしまったのもなぜだかうなづけるところである。日本では、サービス業、医療関連といった職業そして政府の仕事だけがのこるのだろうか?そして、少ない農業人口と。税金による歳入もどんどんと減っていく日本に果たして将来はあるのか?心配してあげているのは私だけか?

2010年4月26日月曜日

Philly (3)

RodinMuseum (ロダン美術館)で見た中でその”美術館の真ん中に展示されていたのが、MonumentalMenである。これは、ウィキペディアなどではどうやらカレーの市民(Les Bourgeois De Calais)"と訳されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B8%82%E6%B0%91
欧州での100年戦争に関連するこの6人の像は、敗北、そして今まさに殺されるかも知れない死の恐怖におののいた顔の6人である。ロダンは、かなりこの6人を研究したらしいのだが、たくさんの像を作る際に彼は同じ手を何人かの像で使うという間違いをしたらしい。誰と誰が同じ手を持っているか探せというような課題が、小学生用の美術館ガイドに与えられていて面白い。もちろん、芸術の鑑賞も重要なので像にどんな表情を見つけられるかといった問いもなされている。12個のキャストが作られたとされ、その内の1つがなんと東京の国立西洋美術館にもあるらしい。



さて、やはりロダンと言うと、手とかが有名なのであるが、ちゃんと事前に調べていかなかった為に、鼻がつぶれた有名なマスク像の写真を撮るのを忘れていた。手の写真をいくつかアップロードしておこう。










さて、Phillyでは、所謂PhillySandwichが有名であるのでその一つを食べにReadingTerminal Marketへと行ってみた。それが、DiNic's Sandwichである。待つこと約15分(10人くらい既に並んでいたので)PulledPorkとSpinachの注文にした。あとから、Pepperも付けときゃよかったなと思ったが既に遅し。
でかいので当然、満腹状態。次回は、Beefも注文して味わってみたい。