2010年5月8日土曜日

エジソンを訪ねてMenlo Park (2)

エジソンは、蓄音機を作ったのでいかにして音をよくするかスピーカーなどの研究も盛んにやっていたようである。これらの展示物を見ることが出来た。彼は、聴力に問題があったと言われていてそのためにかなり読書をしたとも言われる。彼は、10,000冊以上の本を書庫にもっていたし図書館にも良く通ったようだ。こういった知識と数々の実験が、1000以上の特許に結びついたのだろうか?

実に、様々な形のスピーカーである。エジソンは、蓄音機が好きで50年以上に亘り改良を続けたと言われる。エジソンよりも早く蓄音機を発見した人がフランスにもいたということなのだが、その人の蓄音機は音を紙の上に記録するだけであり再生機能がないことから蓄音機とは言えないらしい。

日本ビクターだったか、犬が蓄音機に聞き入っている風景を会社のロゴというかトレードマークのようにしていたのを思い出す。あの犬は、ニッパー君というらしい。今や、SONYのWalk Manを経て iPodなどの時代となったが全てはこういったエジソンの発明からスタートしていることを今更ながら感じた。こんなことに感心しているのはやっぱ理系の性格のなせるわざか?かなりマイナーな観光地であるにも関わらず、5-6人もの人が来ていたのにも驚いた。ここで世界でも初の電球とかの研究や発見がなられたのだが残念ながら研究棟などもほとんど残っていない。建屋のなかにあったという様々な開発した製品などもFordが、持ち帰りミシガンのどこかに記念館を作ったとか。面白いのは、Henry FordはエジソンのEdison Illuminating Companyに就職して働き始めたということだろう。終生にわたりいい友人であったとか。フォードは、自動車の研究をエジソンにサポートしてもらいその開発が始まったのである。その後、彼はエジソンの会社を去り自動車の開発に没頭するが初期のモデルはことごとく失敗となったようである。いずれにせよ、フォードとエジソンに接点があったとは、全く知らなかったことであり面白い発見であった。

再び、エジソンを訪ねて Menlo Park (1)

エジソンのWest Orange記念館を訪れて、彼には別の研究所がさらにあったことを知った。それが、Menlo Parkである。彼が、30歳のころにこのMenlo Parkで世界でおそらく最初とも言われる所謂研究所を作ったのである。それが、1876年のことである。(世界で最初とかいった言葉は、アメリカ人が好んで使う言葉かもしれない。実際には、世界で最初のといったことはないだろう。しかし、Menlo Parkの案内などでは、First Organized Research Laboratory in the history of the worldなどと表現されている。)

約1時間半のドライブで来たのはいいが、なんと駐車場らしきものもないし、なんと掘っ立て小屋のような建物と雑草が生えている中に立っている記念塔だけ。若干、予想はしていたのでびっくりではなかったが、やはりという感じ。実は、このMenlo Parkを調べたときに、寄付金を募ってエジソンの記念館などの建設と共に記念塔の修復工事をといった案内になっていたからだ。(下記のインターネットのHPを参照)
http://www.menloparkmuseum.org/
Museumとはなっているけどもそんなものはなかった。既に数年前からの活動らしいのでもう出来上がっているのかと思ったがどうやらそうではないらしい。つまり、まだまだ寄付金が足りないようだ。エジソンの記念塔の修理だけでもUS$1.8Bというから、建設会社は”うはうは”ではないだろうか?そんなに費用がかかるような印象を持たなかったから。さて、ここでエジソンはまずあの蓄音機を発明し、その後に電球の発明と続く。さらに、すごいのはここでは世界で初の電気機関車の路線も作られていたのである。掘っ立て小屋ではあるが、興味深い展示品もありどうせ暇にしている単身赴任おやじとしては有意義な半日を過ごせた。(なんといってもドライブだけで往復3時間ですので)

NY Ground Zero (6)証券取引所など

NYSE(NY Stock Exchange)株取引をやっている人なら知っているアメリカ最大の証券取引所。ギリシャの神殿のような外観なのでちょっと証券取引所とすぐには判らない。

外は、警察もおりやはり警戒は厳重。これも、Sept11以来かも。















初代大統領ジョージワシントンが、就任の宣誓をしたFederal Hall National Memorial。もちろん銅像は彼GWなので、その横で写真を撮る人がかなり多い。色々な写真を撮っていても中々整理する時間がなく困ったものだ。まあ、でもまた雨の週末があるのでその時にやれるだろう。

2010年5月4日火曜日

やはり渡米するしかないのが今の日本

日本の医療システムは、優れているとよく言われるが難病の手術や臓器移植ではやはり米国の方が優れている。この為、寄付金によりお金を集められた人だけが渡米し、手術を受けれるのが今の日本の現状である。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20100502-OYT8T00816.htm
""沙也さん心臓移植あす渡米"" 
"重い心臓病「拡張型心筋症」を患い、米国での移植手術が決まっている仙台市青葉区の寺町沙也さん(15)の両親が2日、入院先の東北大病院で記者会見した。父の貴史さん(43)は、「今は不安よりも期待の方が大きい。必ず元気になると信じている」と語り、母親の直美さん(41)は、「多くの人に支えられてやっとここまで来られた」と募金活動などに感謝していた。沙也さんは4日、心臓移植を受けるため空路、出発する。"


この”拡張型心筋症”は、医龍などのテレビドラマでも説明されていたものなのでたぶんバチスタ手術などにより心臓の大きさを小さくする手術をするのかもと素人判断で考えた。でも、須磨Drをはじめ何人かの著名な方もおられ15歳未満でも手術は可能なのに渡米するということから、この術式では治療不可能というようだ。臓器提供者を待つという記事から判断すると、やはり年少者の臓器移植は不可という日本の医療制度の問題により渡米となったようである。臓器を買いに海外へ行く日本の現状が時々問題視されているように、今の現状はやはりおかしい。人口が、減少していく中では臓器提供者はますます少なくなるのではないだろうか?そうするとこういった難病にかかった場合には、やはり海外へといくしかないのだろう。1-2億円もかかる渡航そして手術費用には驚くばかりであるが、こういった患者を引き受けることができる米国という国にも驚く。不況は、徐々に脱しつつあるが依然として何百万人もの人が職につけないなか一方では、こういった高額医療を受けることが出来る人もいる。色々と考えさせられる問題であった。
補助人工心臓をつけるなどしてこれまでにも大変だった15歳の少女なのでよくなって欲しいと願う。

たぶん救いなのは、”1lの涙”のような不治の病というか現代医学では治療方法がないのとは違い、よくなる可能性があるということだ。移植をすれば直る、だから大変でも寄付を募り渡米する、これに賭けるということなのだろう。手術が、成功するといいが。

(追記)4日に米コロンビア大学に入院したばかりのこの15歳の少女は、かなりラッキーのようだ。というのも7日すぐに適合する臓器が見つかり 手術となり 手術が成功したとか。でも、入院してわずか2-3日ですぐに手術というのは事前検査の時間などを考えると超はハイスピードと言える。いずれにせよ、吉報である。明るい将来を祈る。

2010年5月3日月曜日

Lower Manhattan にある芸術作品

博物館や美術館を評論できるような知識も博識もないが、色々な機会に恵まれ世界の美術館を訪れる機会も多々あった。今回のLower Manhattanでは、どうやらいくつかの観光ポイントに上げられているものがある。それらが、以下のようなものである。

イサムノグチによるRedCube。この日系アメリカ人の作品は、このLower Manhattanにもうひとつあり、それが水上庭園である。日系であったために強制収容されるなど苦労の人生を送ったようである。広島の原爆記念公園の作品として選ばれかかったが、今度は逆に原爆を落としたアメリカ人の血が混ざっているということで選出から洩れたということで日系アメリカ人であるが為にかなり苦労した人だという。



4つの木のむれ(Group of Four Trees)。これはフランス人による作品でガイドブックを見るまではこれが木だとは思わなかった。まるできのこのような作品といえる。


これが、イサムノグチの水上庭園でどうやら現在は修理中のようでネットが張られていた。銀行の前にある作品なのだが、いかにも日本的で作者がやはり日本人とすぐ判る。ちょっと典型的なアメリカ人には理解がしがたい作品なのではと思ってしまうのは私だけだろうか?




このブロンズブルは、もう横からの写真を一度、アップロードしているのだが正面の写真はまだだった。ここで写真を撮るのはかなり至難の業。道路の真ん中にあるこのブルの周辺にはいつも観光客が多く、また変わりばんこに写真を撮っているので人がいないように撮ることは、殆ど不可能。ブルの上に上がる不届き者も多い。証券所にゲリラ的に送られたクリスマスプレゼントだと言うことだが本当かな?触ると金運が上がるとかいった言い伝えもうわさだけの可能性はあるが、触ろうとする人はかなり多い。私もその一人のミーハーである。

NY Ground Zero (5) ハドソンリバー側の風景

 
















これが、ファイナンシャルセンターをハドソンリバー側から見たものである。このハドソンリバー側の風景を見ているとGround Zeroの存在さえも忘れてしまう。晴天でジョギングしている人やコンサートの準備をしている人を見ていると本当に何事もなかったように思えてくる。こちらからは、前に訪れた自由の女神が遠くに見える。





















やはり、これが持っているデジタルカメラの限界。もっと拡大したいが無理なのである。更に、望遠がつけられたらいいのだが。のどかな、よく晴れた1日だった。

2010年5月2日日曜日

NY Ground Zero (4)ファイナンシャルセンター側より




















これまでの写真は、Church StとLiberty StからGround ZeroというかWTC跡地を撮影したものだった。ぐるりと回って、今度はWorld Financial Center側から見た現在の工事風景もここにUploadしておく。ガイドをしておられる消防士の息子さんをなくした方に付いてぐるりと回るツアーである。今回の、ツアーの人数は20人くらいである。もちろん日本人は、私だけ。このファイナンシャルセンター側からは、工事用の塀の中まで良く見えるので今の工事をよく見渡すことができる。どれだけ広い面積に亘り、建物が崩壊したのか驚くばかりである。Twin Towerをデザインしたのは、日系2世である山崎實氏である。チューブ構造により建設されたこのビルは、オフィス内部の柱をかなりなくしたことで画期的なデザインだったという。航空機が、衝突しても大丈夫の設計だったというが、ただその想定よりも大きな航空機がぶつかってきたこと、そしてその残存燃料による爆発の衝撃までは考慮されてはいなかったそうである。ただ、すぐに倒壊することなくある程度の時間持ちこたえたことでかなりの人が避難できたことは幸いであった。新しく建てられる新WTCでも、第4タワーを日本人の槙文彦氏が設計するそうで日本人が活躍している。

 さて、これはファイナンシャルセンターの中に聳え立っているやしの木である。ガラス張りのっここでは、航空機のタワーへの衝突によりかなりのガラスが割れたそうであるが、やしの木は立ったままであったそうである。なんとも不思議なことだ。ここを出てハドソンリバー側に出るとのどかで美しい光景がまた広がっておりテロによる攻撃を受けた都市ということを忘れてしまう。

Times Square

実は、ゴールデンウィークには日本人や中国人が観光に訪れるため混雑すると思い、先週Ground Zeroと共にちょっとTimes Squareも寄ってみた。やはり先週は、正解だった。今日のこの驚きのニュース。
 ‘Very Lucky,’ Mayor Says, After Bomb  (The New York Times より)
A crude car bomb of propane, gasoline and fireworks was discovered in a smoking Nissan Pathfinder in the heart of Times Square on Saturday evening, prompting the evacuation of thousands of tourists and theatergoers on a warm and busy night. Although the device had apparently started to detonate, there was no explosion, and early on Sunday the authorities were still seeking a suspect and motive.
“We are very lucky,” Mayor Michael R. Bloomberg said at a 2:15 a.m. press conference. “We avoided what could have been a very deadly event.”
なんと、爆発物を仕掛けた車がTimes Squareにあったということ。幸いにして不発であったが、もし先週でなく昨日の土曜に夕方訪れ、もしさらにこの爆弾が爆発していたらと思うと恐ろしい限りである。まだ、アメリカは、テロリストに対して戦争をしている国であると言うことを再認識した。平和ボケしている日本人観光客には、Ground Zeroも、Times Squareもただの観光場所なんだろうが、常にこういった危険があるということは判らないだろう。ちょっとした偶然で、命が救われた、そんな感じがした。本当にVery Luckyである。