サンドイッチと映画に出てきた場所を尋ねて、Phiily(フィラデルフィア)に行った。もちろん、ここで有名なのはアメリカの歴史に出てくるあの自由の鐘(LibertyBell)である。映画、NationalTresureに出てくるシーンである。
自由の鐘は、確かに自由のシンボルなんですが鐘には様々な謎を含んだ歴史が残っているようで面白いです。自由の鐘に書かれているのは、聖書からの一文となってます。”Proclaim liberty throughout all the land unto all the inhabitants thereof --Lev.XXX, v.x.By order of Assembly of the Province of Pensylvania for the Statge House in Philada. Pass and Stow Philada MDCCLIII." 英国ロンドンのWhiteChapel社で製造された鐘が、議会の召集を掛ける為 1753年初めて鳴らされた。そしてその最初の一発でいきなり鐘にひびが入ったのである。上の文章にある、Pass and Stowこれは、NationalTreasureでRiley Pooleが 最後のキーワードを探そうとする場面を思い出すのだが、これはなんとこのひび割れた鐘を修理した職人ということ。細かいことはアメリカ人は、気にしないだろうが、この2人はJohnPassとJohnStowで2人ともJohn、しかも最初に適当に銅を入れて修理したらひびが余計酷くなり、それから真剣に正しい成分を探したというからいかにもいい加減なアメリカ人らしい。輸入したことからも明らかで当時のアメリカでは作れる人も居なかったのだろう。これが、100ドル札の裏側にあるIndependenceHallである。(これは、Wikipediaからコピーしたもの)
さて、映画だけではなく、ここPhillyには(ここは、NJではなくPA Pennsylvanianなのだけど)有名な美術館もあり、暇な私にとってはいいツアーが出来る。駆け足で観光地をめぐる日本人ツアーとは違い。そのいい場所それは、ロダン美術館。(RodinMuseum)もちろん、ロダンは、考える人(The Thinker)で有名。これはLePenseurとフランス語では言うらしく本物は、やはりパリにあるんだろう。レプリカは、どうやらアメリカだけでも10箇所ぐらいでありそうである。(大学その他)京都美術館のものもレプリカというかNewCastingのひとつなんだろう。
ピカソを展示中で込み合っていたのは、Philadelphia美術館。ここがあのロッキーの撮影された場所だなと近づいていくとなんとなにやら人が順番を待って写真を撮っている像がある。なんと万歳をしているシルベスタスタローン、つまりロッキーである。あの映画で観光客が増え、美術館が作ったのか??
これが、順番待ちで混雑するロッキー像。もちろん、一人旅の私は、並ばず退散。映画は、1976年だから、あんなちっちゃな子供が知る由もなく、タダ単にお父さんが懐かしんでいるだけ??
2010年4月24日土曜日
2010年4月22日木曜日
トーマスエジソン記念館(WestOrange, NJ)
こんな所を訪れる日本人は、あまりいないだろう。今回は、興味がありトーマスエジソン記念館を訪れた。このNationalParkは、エジソンがかなり脂の乗った頃に生産工場と研究所を兼ねたような形で使っていたようだ。もうこの頃には、例の電球の研究も完成に近かったのだろう。彼の机を見ていると実に色々なものがごたごたと置いてあるのが判る。やはり、根っからの実験屋という印象を受けた。また、建屋中が書庫で埋まっているのもすごい。また、材料置き場などを見ていても実にさまざまな材料を試験するために集めていたのがよく判る。
例の電話とか蓄音機などの開発にも忙しかったのだろう。確か、メリーさんの羊だったかあれを録音したのではなかったか?電球、蓄音機そして映写機の発明でエジソンは有名になったのだが、彼はかなりの特許を取ったことでも知られている。ただ、エジソンは、グラハムベルが電話の発明者とされることにエジソンが納得していないのは有名。また、電話の通話距離を圧倒的に延ばせたのもエジソンの誘導コイルである。
ドイツに居たときに、X線の発明をしたレントゲンの記念館に行ったのだが、その発見がいかに早く世界中に広まったかという展示が国名と追加実験による確認日があった。それに関連するものをこのエジソン記念館でも見た。なんとエジソンもX線にかなりの興味を抱き、部下に様々な実験をさせていたようだ。しかし、まだその健康への影響を知る由もなくその部下は大量のX線を浴びたことにより健康を害したのである。
右上にある建物が、映写機を使い上映したとされるところだが、この中には入れなかった。さて、この実験研究棟兼 製造所を見た後、彼の住んでいた家を見に行った。これが、最初の妻が脳腫瘍でなくなった後、かなり若い妻Minaと過ごした家である。なんとエジソンは39歳、このミナは20歳である。Glenmont にあるエジソンの家は、かなりでかい。
白熱電球を作るときに色々なフィラメントを用いたけれどもうまく行かず、竹をテストして世界中から竹を集めてきたというのは有名な話である。そして、その竹の性能テストでなんと京都の竹が選ばれたのだ。これをたたえる形で、このGlenmontの家のなかには日本の首相から贈られたという弓矢などが飾られていた。
この最後の写真のなかでエジソンは、この家は自分にとっては大きすぎるくらいでもったいないと言ったことを述べている。その一方、小さくてかわいいミナにとっては、まだまだ物足りないくらい小さな家だと言う。
エジソンの家もカカア天下だったのかと考えたりした。
エジソンの研究所というか記念館は、ここだけではない。NJの中にさらにもう一つある。それが、EdisonCenter at MenloParkである。ここは、まだ行ったことがない。ここの記念館は、傷んできていることもあり修復中でもある。ここに行かないと、エジソンの初期の頃の研究がわからないともいえる。週末暇な私としては、ぜひとも訪れてみたい場所である。(よし、行くぞ!)
2010年4月20日火曜日
重き荷を負いて
やっと4月が終わろうとしている。あの昨年2月末の解雇からもう1年となって、まだまだ這い出そうとしている自分がここにいる。頑張ってから死にたいな、這い上がれ這い上がれと自分を呼びながら、、、、
まだまだ、これからも坂道は続くのだろうがこれからも頑張っていくより他に道はない。久しぶりに、中島みゆきを聞いていてまだまだなんだと思った。6月にやっと長男が、大学卒業。まだ、次男の大学入学そして卒業まではあと6年。なんと長い日々なんだろう。でも、年が離れていたおかげで2倍の費用を払うこともなく終わりそうで良かった。実際、そうなったらまったくやりくりは出来ないというのが本当のところなんだが。米国での学費費用は、家1軒分に相当する。これを支払うのは、本当に大変。我が家の子供たちは、わかっているんだろうか?
CollegeBoardの統計では、19%の生徒が$18,000ドル以下の学費の私立大学へ。そして、32%の学生は$3,000-6,000の公立大学へ。さらに、20%のほかの学生は、$36,000ドル以上の私立大学へと進学するという。(これに更に寮費、食事代、保険などが加算されていくのでさらに最低でも10,000ドルがかかり、それからいくら奨学金で減らせるかがポイントとなる。)
我が家は、この最後のケースに相当。だから、奨学金をいただいても支払った総額がびっくりするほどであった。結局、長男との共同名義の銀行口座は今、空っぽとなったのだがまだなんとか生きているというのが状況。少しずつ何十年かで貯めてきたので支払えたとはいえ、これ程すごいとやはりキツイ。さて、いよいよ次男の番。どこに行ってくれるやら。同じ州内の公立大学に行ってもらえると親としては有難いのだが。そうなれば、喜んで新車の1台をおくってもいいかも???
所変わって日本では、奨学金と名が付いていても、あれは学生ローンなので返済をしないといけないものが殆ど。これを返済できない人が多くなっているとのこと。不景気でもあり、若年層の就職も大変な時代になり、奨学金の返済も大きな問題となっているようだ。
””重き荷を負いて””
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく
目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
まだまだ、これからも坂道は続くのだろうがこれからも頑張っていくより他に道はない。久しぶりに、中島みゆきを聞いていてまだまだなんだと思った。6月にやっと長男が、大学卒業。まだ、次男の大学入学そして卒業まではあと6年。なんと長い日々なんだろう。でも、年が離れていたおかげで2倍の費用を払うこともなく終わりそうで良かった。実際、そうなったらまったくやりくりは出来ないというのが本当のところなんだが。米国での学費費用は、家1軒分に相当する。これを支払うのは、本当に大変。我が家の子供たちは、わかっているんだろうか?
CollegeBoardの統計では、19%の生徒が$18,000ドル以下の学費の私立大学へ。そして、32%の学生は$3,000-6,000の公立大学へ。さらに、20%のほかの学生は、$36,000ドル以上の私立大学へと進学するという。(これに更に寮費、食事代、保険などが加算されていくのでさらに最低でも10,000ドルがかかり、それからいくら奨学金で減らせるかがポイントとなる。)
我が家は、この最後のケースに相当。だから、奨学金をいただいても支払った総額がびっくりするほどであった。結局、長男との共同名義の銀行口座は今、空っぽとなったのだがまだなんとか生きているというのが状況。少しずつ何十年かで貯めてきたので支払えたとはいえ、これ程すごいとやはりキツイ。さて、いよいよ次男の番。どこに行ってくれるやら。同じ州内の公立大学に行ってもらえると親としては有難いのだが。そうなれば、喜んで新車の1台をおくってもいいかも???
所変わって日本では、奨学金と名が付いていても、あれは学生ローンなので返済をしないといけないものが殆ど。これを返済できない人が多くなっているとのこと。不景気でもあり、若年層の就職も大変な時代になり、奨学金の返済も大きな問題となっているようだ。
””重き荷を負いて””
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく
目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
2010年4月19日月曜日
ケルン(3)おまけ
ケルン大聖堂には、宝物殿がある。この展示物には、感心した。やはり教会の持つパワーというか信心がもたらす寄贈なのか判らないが、金などが豊富に用いられた剣や十字架、様々な宝石が飾られていた。何十年、何百年も前の欧州の世界に引き込まれていくような体験ができた。こういった”歴史の重み”というかそういったものが感じられるのはやはり欧州ならではである。アメリカの場合、どでかい建物やすごい自然はあるのだが、やはり歴史はわずかに200年ほどであるのでかなり違いがある。
ドイツ鉄道DBケルンの駅から橋を歩いて行くとびっくり。この橋Hohenzollernbrueckeのフェンスには、男女の名前を書いた所謂 南京錠が一杯なのである。南京錠という言い方をするといかにも年寄りじみた感じとなるが、これはイタリアから端を欲している愛の証。つまり、鍵を掛けてその鍵は川に捨て永遠の愛を誓うといったおまじないなのである。おまじないというか2人の宣誓なんであろう。愛錠Liebesschloesserとも言われているこのすさまじい数の鍵を見たのは初めて。もう50代となったおじさんにとっては、あまり意味はないかな。(夢がないなー)今更、ここに嫁さんを連れてきて鍵を掛けようとしたら嫁さんに”止めてよ、私はもっとお金持ちと結婚したかったんだから”と言われそうで、やはりいいイメージは沸いてこない。これらは、ケルンのおまけとして写真をアップロードしておこう。
2010年4月18日日曜日
収入なしでの生活?
もう働いているので、”収入なし”というのは正確には正しくないのだが、実は収入は全額TXの口座に入れているため実際にNJで生活している私の銀行口座にはまったく入ってこない。でも、家賃と車さらにガソリン代が会社からのサポートで出ているので私に必要なものは食費と衣服に関わる部分だけである。食費は、最初の月にかなりの出費となった。これは、炊飯器やコーヒーメーカーを購入しないといけなかったからでその後はかなり安く上がっている。今週は、NCへの出張で実際に自分のポケットから支払ったものは殆どないと言える。超ラッキー。(ただ、帰ったらやはり葱とバナナが腐っていて処分となった)今日は、久しぶりに(というかNJでの生活も2.5ヶ月なのだが)日本食の購入に行ってきた。これは、行き帰りで2時間のドライブ。今日は、雨も降っており観光に行くにはちょっと天気もそして温度もよくなく洗濯そしてこういった日用品の購入の日とした。やはり、日本食の値段は高い!沢庵を買うかどうかで迷ったが5ドルも出して買うほどではないと断念。そして、鰻を買っているおじさん(自分もそうだが)を見て値段をチェック。なんと17ドル。かなりリッチな生活をしておられる方と判断した。全般的にやはりTXよりも同じものが2-3割は高いと思われるのでこれは会社の駐在員価格であろうと思う。そういった駐在員のような金銭的なサポートのない私としては、やはり妥当な値段のものだけを探して購入した。
不思議なのは、春なのに何故か店頭に並んでいる秋刀魚。なんで今の時期に出てるんだ??安くは抑えた積りでも、やはりお米を購入すると70-80ドルの出費となった。(こちら米国では、15lbだから約7.5kgのササニシキで25-28ドルくらいであろうか)節約をしているのでこの出費は痛いがしょうがない。ぼちぼちまた現金が底を付きそうになるので来週、またお金を下ろさざるを得ないだろう。でも私の口座は、出る一方で入ってこないのでもうあまりない。実際、残っているのは2500ドルだけ。つまり、25万円。さてこれで何ヶ月生活出来るかなあ。
昔は、納豆や梅干は手に入らなかったんだろうなと思う。今は、なんでも手に入る、お金さえ気にしないならば。地道な節約生活は、これからも続く。かなりいい額の税金が戻ってきた割には、しぶちんな生活である。
パーソナルチェックを使い切れば、TXの銀行口座からお金がこちらのNJ口座へと移せるのだが、まだまだここで辛抱といった我慢比べ。これはこれからも続く。使えばすぐなくなる、でも貯めて増やしていくのは大変。次男の大学学費を考えるとやはりまだ節約生活は、続けざるを得ないだろう。
不思議なのは、春なのに何故か店頭に並んでいる秋刀魚。なんで今の時期に出てるんだ??安くは抑えた積りでも、やはりお米を購入すると70-80ドルの出費となった。(こちら米国では、15lbだから約7.5kgのササニシキで25-28ドルくらいであろうか)節約をしているのでこの出費は痛いがしょうがない。ぼちぼちまた現金が底を付きそうになるので来週、またお金を下ろさざるを得ないだろう。でも私の口座は、出る一方で入ってこないのでもうあまりない。実際、残っているのは2500ドルだけ。つまり、25万円。さてこれで何ヶ月生活出来るかなあ。
昔は、納豆や梅干は手に入らなかったんだろうなと思う。今は、なんでも手に入る、お金さえ気にしないならば。地道な節約生活は、これからも続く。かなりいい額の税金が戻ってきた割には、しぶちんな生活である。
パーソナルチェックを使い切れば、TXの銀行口座からお金がこちらのNJ口座へと移せるのだが、まだまだここで辛抱といった我慢比べ。これはこれからも続く。使えばすぐなくなる、でも貯めて増やしていくのは大変。次男の大学学費を考えるとやはりまだ節約生活は、続けざるを得ないだろう。
デュイスブルク
デュイルブルクは、 デュッセルドルフから北に約20kmに位置している都市で1985年に生産停止したテッセン製鉄所がある。この製鉄所 Landshaftspark Nordを公園化して公開している。ここもエッセンのZollverein と似ており20-30年前に時が止まってしまっているような感じがした。鉄を中心とした工業化で栄えたドイツの国もいまや他の産業へと転換せざるを得ない状況がよく判る。たぶんあと数年或いはあと数十年したら日本の蹄鉄所も同じような公園となるのではないだろうか?鉄鋼生産は、やはり規模が大きくものを言う産業なので最先端の開発途上国の設備と競争していくのは大変だろう。季節も、まだ冬から初春なのでダイビングに用いられているガスタンクなどは見れなかった。鉱石を貯蔵していた設備は、その壁を利用してロッククライミングが出来るようになっている。高炉のある部分までは、上っていくことも出来るので展望タワーと言った感じである。広い設備なのでどうやらコンサートなども開かれているらしい。
益々、日本そして韓国、中国との競争は激しくなっていくだろうからこの景色を見て将来の日本を垣間見たような気になった。世界が平準化していく中で日本だけが、生き延びていくなどと言うことはないであろうから同じような景色が日本の鉄工所などに現れるのだろう。”時間”そして”世界競争”をここでは感じた。
ケルン(2)駅そして様々な電車
写真を一杯取ったにも関わらず、まったく整理出来ていない。今日は、雨ということもあり、洗濯が終わり日本食の買い物が終わったので(これは、行き帰り2時間のドライブなんだけれどもお米とかうどんとかが欲しいのでしょうがない、本当はいい日本酒も欲しいところなんだけれどもぐっと我慢。まだまだ家族3箇所生活が続くので節約しないといけないため)ちょっとドイツの滞在時の写真を整理した。ケルンには、大聖堂を見るためだけに行ったのだけれども駅も見てきた。ドイツの駅の中には簡単に入れる為(切符の購入はいらない)写真も取りやすい。このケルンの駅は、やはりでかい気がする。しかもかなりモダンである。デユッセルドルフの駅より大きいのではないかと感じた、気のせいかな?そして、様々な電車である。DB、ICEなどなど。今回は、レンタカーがあったので電車の旅はしなかったのだがゆっくりと滞在できるなら電車に乗るのもいいだろう。ただ同僚曰く、電車はよく遅れるらしい。遅れるのはアメリカだけかと思っていたのだがどうやらそうではなく、ドイツでもよくあることらしい。
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