ちょっと信じられないことだが、日本では約50%もの人が500万円にも満たない退職金をもらっているという報告がある。
http://finalrich.com/guide/60/guide60-condition-retire-bonus.html
退職金は、確かに企業のさじ加減により全くなくなることもありうるので確かに今のような不況下で退職される方が最も不利である。このデータが本当かどうか判らないが、自分はまあましな方だというのが印象である。昨日も人材会社と話したのだが、今年2月末で解雇となり職を探していると伝えるとびっくりしている様子。もう半年であるので、その間の生活費などを考慮すると確かにびっくりもされるだろう。3月以降、我が家はかなり切り詰めて生活を続けているがやはり暑いテキサスの夏なのでクーラーだけは切ることが出来ない。すでに7月の電気代は400ドルを超えている。でも、年間で電気代をならして支払うという所謂フラットレート契約にしているので大体毎月200ドルである。これでも結構高い。しかし、我が家は2階建てで2つのクーラーユニットなのでこんなもんだろう。長男が大学に行き、いまこうして失業状態となって言える事は、もっと小さな家でも確かによかったなということである。ちょっと遅すぎるが。60歳とならずに、退職金を貰った以上なんとか使わないようにして少しでも増やしていかなければならない。さてどうなることやら、この不況下で。
2009年8月7日金曜日
気分転換 その6
シカゴよりRoute66を通り、南下してみた。古きよき時代のアメリカといえる。余程自動車というか単車が好きな人でなければ、このRoute66を使い時間をかけて踏破するなどということは不可能だろう。なんせ時速は制限されているし古い町並みなので。途中よりI-55に変更、何とか2日で帰れないかと一生懸命走ったがStLouisの南でストップ。その次の日に、途中にあるMemphisによる計画を突然立てたのでこれでまた余分に日数がかかってしまった。メンフィスにあるエルビスの記念館は、すごかったがやはりエルビスプレスリーは、自分たちよりも高齢の人の時代の憧れだったように思う。自分たちの場合は、やはりカーペンターズ、アースアンドファイアー、ABBAなどじゃないかな。さらに次の日にがんがん走ったがやはり一日に走れる距離は知れている。結局、Texakarna(テキサスとアーカンソーの境界の町)まで下ってきて宿泊となった。そこより一気にヒューストンにそして自宅へと戻ってきた。約2800マイル、ガソリン代はわずかに200ドルほどでシカゴまで往復した感じである。シカゴでかなり安いホテル(わずか50ドル)に泊まっていたこともあり、一週間でホテル代も600-700ドルであり旅行の料金はかなり安く上げられた。(ウチのかみさんの言うとおり)
気分転換 その5
また遠く離れたホテルから、渋滞を通って長男のアパートへ。今日は、近くの五大湖の近くでちょっと景色を見た後、自分たちの泊まっているホテルの方角にある日本食のスーパーへ買出し。お菓子やご飯のレトルトパック、カレーのパックなどを買って、もう一度シカゴのダウンタウンへ。今日の夕食はシカゴの名物のDeepPizza。ここの店は、有名だからと家内がいう店へ。前日見たときには、かなりの行列となっていたのでやや早めの夕食としたのだが、注文をして40分待たされるのには閉口した。それも、これがおいしければ問題はないのだが、まずい。せっかく待ちに待って食べても、何これって言う感じのピザでこれを一時間近く待ってさらに注文後40分も待って食べていたのではショックだろう。まあ、旅行者が多いということなのでこういうピザなんだと納得しておいしいと食べるのかも?長男いわく、近くにある別のピザのほうが待ち時間もなくはるかにおいしいとか。散々の一日であった。これで2日半の長男との行動ともさようならである。どうやら今年の夏は、長男は全くテキサスに帰ってくる気はないようなので。気温の高いのも嫌らしい、なんせシカゴは75F,テキサスは95-100Fだから。
2009年8月5日水曜日
気分転換 その4
まず、長男の案内により地元のサンドイッチを食べにダウンタウンに。ここは結構有名らしくテーブルの数が多いにも関わらず、ごった返していた。肉をスライスしてあるが、この量がやはり半端じゃない。まるでこれでは、テキサスサイズである。サザンドレッシングで食べるのだが、テーブルにあったホースラディッシュで食べると結構合っていてうまかった。
さらに中心部のダウンタウンでは、Hancockセンターに行った。数年前には、SearsTowerに行ったのでこれで著名な建物は制覇した感がある。たまたま、晴れていたので見晴らしもよく湖や他の高層建築物が良く見えた。次男が若干気分を悪くした(あまりに高速で高層の建物に登ったせいか?)ので、その後 映画に行った。HarryPotterなのだが、これはもう一度見ていたので楽に鑑賞できたがやはり所々で判らない英語もまだあった。何年経っても、全部がすんなりとは判らないもんだ。夕食に有名なPizzaをと思ったが、どうもその位置が判らず結局 全く違うThai風の店でかなり遅い夕食とした。長男をアパートに送って、まったく反対方向のホテルに帰って行くときまたI-90で渋滞となり、ホテルに着いたのはもう午前一時といった具合であった。朝も夜も渋滞だらけで、やはり都会ではこれに耐えないといけないと感じた。
さらに中心部のダウンタウンでは、Hancockセンターに行った。数年前には、SearsTowerに行ったのでこれで著名な建物は制覇した感がある。たまたま、晴れていたので見晴らしもよく湖や他の高層建築物が良く見えた。次男が若干気分を悪くした(あまりに高速で高層の建物に登ったせいか?)ので、その後 映画に行った。HarryPotterなのだが、これはもう一度見ていたので楽に鑑賞できたがやはり所々で判らない英語もまだあった。何年経っても、全部がすんなりとは判らないもんだ。夕食に有名なPizzaをと思ったが、どうもその位置が判らず結局 全く違うThai風の店でかなり遅い夕食とした。長男をアパートに送って、まったく反対方向のホテルに帰って行くときまたI-90で渋滞となり、ホテルに着いたのはもう午前一時といった具合であった。朝も夜も渋滞だらけで、やはり都会ではこれに耐えないといけないと感じた。
やはり大赤字は続く
そりゃそうだろうけど、赤字は相変わらずのようだ。http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090805AT3S0401Y04082009.html
日本では、国民・厚生年金が世界不況の影響もありまた赤字となったとの事。でも、これはまったく驚くことではないだろう。あまりにも当たり前になっていて逆に国民が無関心になってきていることのほうが恐ろしい感じがする。アメリカでも年金財政は赤字だが、声を上げてこれを変えようとしている人がいるだけましか?たぶん日本にも同じように、変革を訴えている人はいるのかもしれない、自分が知らないだけで。何とかしないと日本丸は、沈没していくだろう。
日本では、国民・厚生年金が世界不況の影響もありまた赤字となったとの事。でも、これはまったく驚くことではないだろう。あまりにも当たり前になっていて逆に国民が無関心になってきていることのほうが恐ろしい感じがする。アメリカでも年金財政は赤字だが、声を上げてこれを変えようとしている人がいるだけましか?たぶん日本にも同じように、変革を訴えている人はいるのかもしれない、自分が知らないだけで。何とかしないと日本丸は、沈没していくだろう。
2009年8月3日月曜日
気分転換 その3
やっとシカゴに到着するも、ホテルの位置が判らずぐるぐると色々な場所を回る。空港の近くですぐわかるだろうとGoogleMapを印刷しなかった付けがきたのかも。やっと見つけ、今回の旅行で最も安いホテルにチェックイン。なんといってもここシカゴで最低付近のホテルなので若干心配。たったUS$50である、その基本価格はUS$80であったが夏キャンペーンということで安くなっている。
長男のいるアパートとは、かなり離れているがなんとか行けるだろうと思ったのがまた大間違い。あまりにヒドイ渋滞、渋滞である。シカゴの90号線の渋滞がこんなにもひどいとは。結局、あまりにも遅く到着となったので長男のアパート近くの地中海料理で遅い夕食とする。ラムの料理が結構多くびっくり。無難にステーキを選んだ私が正解。次男は、肉とラムの串刺しのような料理だったが味についていけなかったようだ。
長男のいるアパートとは、かなり離れているがなんとか行けるだろうと思ったのがまた大間違い。あまりにヒドイ渋滞、渋滞である。シカゴの90号線の渋滞がこんなにもひどいとは。結局、あまりにも遅く到着となったので長男のアパート近くの地中海料理で遅い夕食とする。ラムの料理が結構多くびっくり。無難にステーキを選んだ私が正解。次男は、肉とラムの串刺しのような料理だったが味についていけなかったようだ。
2009年8月2日日曜日
気分転換 その2
まず、第一日めはかなり走ることが出来た。夕方にヒドイ雷雨のせいで視界もままならないくらいヒドイ状況になったが、結局テキサスより脱出そして約500マイル走行しリトルロックに到着。早速ホテルを探し、ピザハットで遅い夕食となった。このリトルロックは、当然クリントンの町だ。クリントン大統領記念館がいつから開くのか調べてからぐっすり寝た。
第二日め、ゆっくり起きてクリントン記念館を見学。目玉はやはり、数字に基づく実績と宇宙NASA関係かな。クリントン大統領の時には、経済が活性化、さらに負債関係の数字が改善したのは有名である。また、2期8年に及ぶその活動を一日一日のスケジュールも公開していた。その後、リトルロックよりセントルイスを目指して走行。途中、ちょっとまた雨だったが、前日ほどひどくはなくまあまあ快適なドライブであった。夕方から夜、にかけて到着後すぐにArchを見に行った。その前にホテルを予約しておくべきだったが、見学を優先。アーチの壮大さは、良かったのだがその後、ダウンタウンを抜け出しホテル探しに行こうとして迷子になった。どこをどう走っているのか判らず、時間がかなり無駄となり、家内と次男の不評を買った。ダウンタウンの中のホテルで止まれば、簡単だったのだろうが。迷子となったときに見つけた、2軒のホテルは共に満室ということでこれにはびっくりした。
結局、セントルイスより抜け出し、イリノイ州側に向かいホテルを確保。夜の10時近い夕食となった。Tuesday レストランでの夕食。
第二日め、ゆっくり起きてクリントン記念館を見学。目玉はやはり、数字に基づく実績と宇宙NASA関係かな。クリントン大統領の時には、経済が活性化、さらに負債関係の数字が改善したのは有名である。また、2期8年に及ぶその活動を一日一日のスケジュールも公開していた。その後、リトルロックよりセントルイスを目指して走行。途中、ちょっとまた雨だったが、前日ほどひどくはなくまあまあ快適なドライブであった。夕方から夜、にかけて到着後すぐにArchを見に行った。その前にホテルを予約しておくべきだったが、見学を優先。アーチの壮大さは、良かったのだがその後、ダウンタウンを抜け出しホテル探しに行こうとして迷子になった。どこをどう走っているのか判らず、時間がかなり無駄となり、家内と次男の不評を買った。ダウンタウンの中のホテルで止まれば、簡単だったのだろうが。迷子となったときに見つけた、2軒のホテルは共に満室ということでこれにはびっくりした。
結局、セントルイスより抜け出し、イリノイ州側に向かいホテルを確保。夜の10時近い夕食となった。Tuesday レストランでの夕食。
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