2010年1月24日日曜日
これも人生、でもお父さんはシンドイな
ドイツの友人が、会社を辞めざるを得ないということを昨日書いたのだが、もう一つ驚くような人生の展開を聞き実際確認もした。日本人で研究関連に従事している彼は、会社や経済が大国中国に翻弄されている状況を目の前にして奮戦していた。中国の市場は、どんどん大きくなり(実際、GNPも、さらに輸出規模でもさらに自動車市場などでも)従業員数は増えている。その一方でどんどん落ちている日本があった。ドイツの施設が縮小される前に、日本の某施設は結局閉鎖となった。当然、人員が削減する様を目の前で見た。彼は幸いにして会社に留まる事が出来たが、仕事は海外東南アジアの国への出張が激増した、もちろんその周辺国に展開している日本の会社が相手である。中国では、当然中国語が出来ないといけないし、日本人を高級な待遇で使ってくれるわけもない。まだ、規模がこの中国までには達していない東南アジアだからこそまだやっていけるのかもしれない。彼が、人生の中でかなりの大きな決断をしたのは昨年だった。世界で展開している(私の勤めていた前の)会社は、当然各国別に給与体系がある。先進国は、それなりに高い給与となる。なぜなら競争力ある相応の給与を払わなければ必要な人材が手には入らないからという考えからである。その先進国の日本からなんと彼は、後進国の東南アジアのある国へとその国の給与を貰う形で移籍したのだった。当然、給与が下がるので、しかもかなり下がるので、これにはびっくりした。何人かの人に聞いてやはり彼は、仕事上での働き甲斐を優先したということがわかった。彼、そして我々の仕事は、日本の製造業のお客さんがうまく開発を出来るようにサポートすることであったから、それが出来るのはもう海外でそういった東南アジアしかないということであった。何故なら、開発の設備やテストの実施ももうすべて海外に移っているのだ。これも、また人生か。10年前、米国に来た私も現地給与ではかなり下がるなとは思ったが、その時のショックよりももっとすごいものがこの東南アジアへの移動にはあるだろう。やりがいのある人生、これが彼の選んだ選択であった。
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