2010年4月22日木曜日

トーマスエジソン記念館(WestOrange, NJ)



こんな所を訪れる日本人は、あまりいないだろう。今回は、興味がありトーマスエジソン記念館を訪れた。このNationalParkは、エジソンがかなり脂の乗った頃に生産工場と研究所を兼ねたような形で使っていたようだ。もうこの頃には、例の電球の研究も完成に近かったのだろう。彼の机を見ていると実に色々なものがごたごたと置いてあるのが判る。やはり、根っからの実験屋という印象を受けた。また、建屋中が書庫で埋まっているのもすごい。また、材料置き場などを見ていても実にさまざまな材料を試験するために集めていたのがよく判る。














例の電話とか蓄音機などの開発にも忙しかったのだろう。確か、メリーさんの羊だったかあれを録音したのではなかったか?電球、蓄音機そして映写機の発明でエジソンは有名になったのだが、彼はかなりの特許を取ったことでも知られている。ただ、エジソンは、グラハムベルが電話の発明者とされることにエジソンが納得していないのは有名。また、電話の通話距離を圧倒的に延ばせたのもエジソンの誘導コイルである。















ドイツに居たときに、X線の発明をしたレントゲンの記念館に行ったのだが、その発見がいかに早く世界中に広まったかという展示が国名と追加実験による確認日があった。それに関連するものをこのエジソン記念館でも見た。なんとエジソンもX線にかなりの興味を抱き、部下に様々な実験をさせていたようだ。しかし、まだその健康への影響を知る由もなくその部下は大量のX線を浴びたことにより健康を害したのである。














右上にある建物が、映写機を使い上映したとされるところだが、この中には入れなかった。さて、この実験研究棟兼 製造所を見た後、彼の住んでいた家を見に行った。これが、最初の妻が脳腫瘍でなくなった後、かなり若い妻Minaと過ごした家である。なんとエジソンは39歳、このミナは20歳である。Glenmont にあるエジソンの家は、かなりでかい。
白熱電球を作るときに色々なフィラメントを用いたけれどもうまく行かず、竹をテストして世界中から竹を集めてきたというのは有名な話である。そして、その竹の性能テストでなんと京都の竹が選ばれたのだ。これをたたえる形で、このGlenmontの家のなかには日本の首相から贈られたという弓矢などが飾られていた。















この最後の写真のなかでエジソンは、この家は自分にとっては大きすぎるくらいでもったいないと言ったことを述べている。その一方、小さくてかわいいミナにとっては、まだまだ物足りないくらい小さな家だと言う。
エジソンの家もカカア天下だったのかと考えたりした。
エジソンの研究所というか記念館は、ここだけではない。NJの中にさらにもう一つある。それが、EdisonCenter at MenloParkである。ここは、まだ行ったことがない。ここの記念館は、傷んできていることもあり修復中でもある。ここに行かないと、エジソンの初期の頃の研究がわからないともいえる。週末暇な私としては、ぜひとも訪れてみたい場所である。(よし、行くぞ!)


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